コロナ禍の中で考える、学校の価値

新型コロナウイルスの影響で、わたしの住む東京都では3月からずっと学校の休校が続いています。その過程で緊急事態宣言の発令→延長→解除など行政としての対応レベルは変化しましたが、学校に関しては頑なに休校を貫いています。対応は自治体によって違うとは思いますが、わたしの子供が通う学校では月に1回程度の登校日があったのみで、それ以外は家庭学習用の課題プリントをもらい、自宅で学習を進める状態でした。緊急事態宣言の解除を受け、ようやく来週から学校が再開されることになりました。3ヶ月に及ぶ長い休校期間は今までにまったく経験がなかったため、いざこうなってみると親子ともども学校へ行く意味について深く考えさせられました。

学校の価値ってなんだろう?

学校の代わりに親が勉強を教えること自体は、慣れてしまえばさほど苦ではありません。最初は苦労しましたが、だんだんと親子でペースをつかめてくるのでどうにかなりました。むしろこの状況を逆手にとって、家庭学習ならではの方法を使って楽しく教えることもできます。たとえば音楽の課題。さまざまな楽器について特徴や音色を調べてレポートせよ、というなかなかのタスクが課されていたのですが、バイオリンやトランペットならまだしも、オーボエ・ファゴットなどなかなか目にする機会のない楽器は教科書で見てもイマイチピンとこない…。こういう状態で無理にレポートを書かせても、あまり良い効果は期待できません。それなら説明するよりYoutubeを見る方が早い!ということでファゴットやオーボエの動画を見せてみました。どうせなら子供の知っている曲の方が興味をもつはずなので、「鬼滅の刃」の主題歌を演奏している「弾いてみた」系Youtuberの動画を再生してみると、やはり子供の食いつきがイイ!たぶん学校の授業では教科書に載っているクラシックをを皆で聴く授業になるのだろうと思いますが、要は楽器に興味が持てればよいのだから、学習の入口は鬼滅の刃でもOK。それで何か特定の楽器にハマったら、そこからいろいろな方向に世界を広げていけばいい。ひとりひとりの興味の方向に合わせてカスタマイズできるのは、むしろ家庭学習のメリットではないかと思いました。まぁ、この家庭学習に付き合うために「親の時間とメンタルが削られる」というデメリットはあるのですが、正直学校の授業1時間分の内容をフォローするのに必要な時間は20分程度でした。同じ内容を学ぶのに半分程度の時間で済むなら、家庭学習の生産性はかなり高いなと思っています。

その一方で、家族以外の人(先生、クラスメイトなど)との接点が少なくなって生活が単調になったこと、外遊びが制限されて運動量が激減したことで、子供のストレスが目に見えて増えていきました。わたしの子供に出てきた異変は、食事量と睡眠の変化。活動量が低下しているので以前ほどのカロリー摂取が必要ないのか、食欲が明らかに減ったので心配になりました。また、運動量が明らかに足りていないので以前は夜21時半頃には寝ていたのが、雨で外出できなかった日などは23時頃まで寝つけないことも出てきました。なるほど、学校の必要性って学習だけじゃなく、運動面・心理面も大きかったのか~、とコロナ休校で気づかされました。

…となると、我が家にとって学校の価値とは何か?と考えてみると以下のようになるでしょうか。

  1. 生きていくために必要な最低限の知識・技術を教わる
  2. 体育・校庭での遊びを通じて、適切な運動量を確保する
  3. 教師やクラスメイトとの交流を通じて、社会性を身につける
  4. 子供の日中の居場所を確保し、親が仕事・家事・介護などを行う時間とメンタルの余裕を確保する

特に②、④はコロナ騒動で休校になって初めて気づかされました。親の仕事量は、子供が学校に行っていることによって確保されていたことを痛感…。③の「社会性を身につける」については理解はしていたものの、日本の学校では同調圧力が強いため、むしろ集団生活による問題が大きいのではないかと思っていました。まさか学校での集団生活がなくなると生活が単調になって悪影響が出てくるとは思いませんでした。(個人差はあるでしょうが。)長期間学校が休校になってみて初めて気づけることもあるものですね。

来週からはついに東京都内でも学校が再開されますが、当然ながら以前と全く同じ形ではありません。まずは「分散登校」が開始されます。だいたい全校生徒の半分程度を、1日おきに登校させる学校が多いようです。そして感染対策はかなり徹底されています。登校時は必ずマスク着用、校門前で検温、熱があれば中には入れません。また、自宅でも毎朝検温し、保護者が押印した健康観察カードの持参が求められます。そして登校後すぐに手洗いうがい。給食は自分たちで配膳せず、先生から受け取った食事を各自の席で会話せずに食べます。登校しない日は家庭学習となります。

実は、6月中に登校させるかどうかは保護者判断で選べます。感染症の予防を目的として欠席する場合は欠席扱いにならないからです。おそらく家庭によっては、感染リスクを恐れて6月いっぱいは登校させないという判断をすることもあるでしょう。塾のオンライン授業で勉強しているから、わざわざ感染リスクを負ってまで学校へ行く必要はないと考え、たとえば体育の授業がある日だけは登校させるという家庭も出てくるかもしれません。

このコロナ休校で、我が家に限らず子供も保護者も学校へ行く意味について深く考えさせられたと思います。もともと何を学校に期待するかは個人差があったと思いますが、コロナによってひとりひとりの「学校の価値」が強烈に浮き彫りになっています。わたしの子供は「勉強は家でもできるからいい。でも学校へ行かないと友達に会えないのが困る」と言っています。逆に「友達との人間関係は正直面倒だけど、家だと勉強ができないから、学校が休みだと困る」という子もいるでしょう。また保護者側でも「学校が休みだと仕事ができない」という人もいれば、「塾で質の高い勉強ができるから学校の授業には期待していない」と考える人もいる。もともと学校教育に対するニーズは多様なのに、これまでは学校との関わり方は限定されていました。毎日登校するか、不登校になるかの二択だけです。しかし、図らずもコロナによって選択肢が増える方向になっています。自治体によってはオンライン授業も検討されていますし、もしかしたらアフターコロナの時代は登校しなくても学べるようになるかもしれません。そうなれば「特に不登校というわけではないけれど、あちこち転勤族の両親と一緒に引っ越しをしながら元のクラスメイトと一緒にオンラインで授業を受ける」なんて学び方も可能になるかもしれません。そうなったら転校生という概念がなくなるだろうなぁ…。いじめで登校はしたくないけれど、授業だけは自宅オンラインで受けたいと思う子も出てくるかもしれません。そうすると不登校児の定義も変わってくるでしょう。

コロナ禍でビジネスの場面でもテレワークやオンライン会議が大幅に普及しましたが、その波はついに学校にも押し寄せています。とりあえず6月中は分散登校で乗り切るのだと思いますが、先生が登校グループごとに同じ授業を2回行うことになるため、学習進度は半分になります。この方法を長期的に続けることは難しいでしょう。緊急事態宣言の解除後に再び感染者数が増えた地域も散見されており、コロナ問題は長期化することが予想されます。いくら保守的な教育委員会であっても、もはやオンライン授業待ったなしというところまで追い詰められているに違いありません。コロナが学校教育のIT化や多様化を後押ししてくれるのなら、この3ヶ月の休校期間で投入した保護者のリソースも報われるというもの。これを機に、日本の学校教育が良い方向に進化していくことを期待しています。