【書評】江戸幕府の感染症対策(安藤優一郎著)

このコロナ禍の中、かつて流行した感染症にまつわるドキュメンタリーや小説が売れているとのこと。カミュの「ペスト」は増刷に次ぐ増刷で、125万部も売れたそうです。中世ヨーロッパでペストが流行したときの状況はこれでよく分かったのですが、日本で疫病が蔓延したときはどうだったのか、知りたいと思っていました。そんなとき、江戸時代の感染症流行状況や対策をまとめた新書を発見。江戸時代ならかなり記録も残っているだろうし、史実がより分かるかな~と思って読んでみました。安藤優一郎著・「江戸幕府の感染症対策ーなぜ都市崩壊を免れたのかー」です。

グローバリゼーションが進んだ現代では、他国で発生した感染症は決して他人事ではなく、新型インフルエンザ、SARS、MERS、そして新型コロナウイルスのように世界中に影響を与えます。一方、江戸時代は鎖国をしていたので、外から疫病が入ってくることはないのかなと思っていたら、本書によれば違ったようです。長崎などいくつかの港では海外(主にオランダ、中国)からの船を受け入れていたので、結局そこから疫病が持ち込まれて国内に広がってしまうんですね。

人口密度の高い江戸では、当然感染症が流行するリスクが高まります。天然痘は毎年、麻疹(はしか)は20~30年おきに流行、時にはインフルエンザやコレラまで…。江戸時代は戦乱がなく平和で、浮世絵などの町人文化が花開いた時代、と思っていたら、こんなにサバイバルな時代だったとは…。ちょっと江戸時代のイメージが変わりました。

当時は現代医学がない状態なので、人から人へうつる病だということは経験的に分かっていても、原因となる病原体は不明、治療薬もないわけです。とにかく自然に終息するのを待つしかありません。経済は打撃を受け、食品や医薬品の価格が高騰すると、貧困に陥る者が増え、不満を抱えた民衆による暴動が起きます。これは政権を安定して維持したい幕府にとっては脅威です。そこで幕府が貧民救済策を実行していきます。これが現代のコロナ対策にそっくりなので驚きました。

たとえば1800年頃にはオランダから持ち込まれたインフルエンザが大流行。瞬く間に国内の都市部に広がり、働けない人が増え、貧困に陥る人が増えました。幕府が打ちこわしなどの暴動を恐れ、給付金(現金、米)の支給を決定。いちいち身上を改め個別認定しているとスピード感がないとのことで、その日暮らしの者に一律で給付金を支給したのだそうです。これって去年の定額給付金と同じような話ですよね。

さらにその後の麻疹の流行もあり、薬や食品の価格が高騰。奉行所が適正価格で販売するよう行政指導を行いました。そして芝居小屋、飲食店、風呂屋、髪結床、呉服屋、遊郭は大打撃を受ける。…これもまさに今新型コロナウイルスで起こっている状況と全く同じですよね。マスクやアルコールの転売ヤーに対する規制。感染リスクの高い商売、外見を着飾る商売が感染症流行時に苦境に立たされるというのは、数百年経っても同じ。まさに歴史は繰り返す。

それにしてもこの時代、病原体や感染経路は医学的には解明されていなかったにも関わらず、人の集まる場所を避け、人と接触する機会を減らすというような現代と同様の感染予防策が採られているのは興味深いです。人々は度重なる疫病の流行を乗り越え、経験的に理解していたんですね。

こうして考えてみると、日本で伝統的に行われてきた習慣や、家屋のつくりには疫病の蔓延を防ぐという意味もあったのかもしれません。紙と木で作られ、通気性バッチリで換気のしやすい日本家屋、貴人とは距離を置いて対面し御簾や几帳を隔てる、扇で顔を隠して対面する…それぞれ現代の換気、ソーシャルディスタンス、マスクやフェイスシールドに相当しそうです。「亡国病」と恐れられた結核を克服したのは昭和の中頃ですから、それ以前は感染症の脅威がより身近だったと思います。過去の知恵から学べることは多くありそうです。

そして江戸時代末期になると、ヨーロッパから伝わった種痘(天然痘ワクチン)が導入され、普及していきます。オランダとの貿易の玄関口となっていた長崎から広まり、天然痘の流行に悩まされることがなくなってきます。本書によれば、当時長崎を管轄していた佐賀藩主・鍋島直正は種痘を真っ先に自分の子供に接種したとのこと。トップが自らリーダーシップを発揮して種痘の普及を進めたわけです。来月からは新型コロナウイルスのワクチンが接種開始される見通しとのこと。現在の日本のトップは果たしてリーダーシップをとって接種を進めていくことができるのか。かつての佐賀藩主を見習ってほしいものです。

現代のわたしたちは、発達した現代医学の恩恵を享受しています。病原体の性質や感染経路がすぐに解明され、アルコールや石鹸など感染を予防するためのアイテムも充実しています。そして新規の疫病が発生して1年足らずでワクチンが開発され、すでに諸外国では接種が始まっています。江戸時代と比べたら相当自分たちは恵まれているなあ、と思わずにはいられませんでした。そして病原体に対する多くの対抗手段が備わった現在でも、終息の兆しを見せない新型コロナウイルスは過去最強の敵かもしれないとも思ったのです。

人類の歴史は感染症の歴史であるともいわれます。今となっては後の祭りですが、新型コロナウイルスが流行する前に本書を知っていれば、新たな感染症の流行時にどんなことが起こるか先んじて知り、それに備えることができただろうにと悔やまれます。何のために歴史を学ぶのか。わたしは今まで「入試に出るから」「一般教養だから」というくらいの後ろ向きな理由しか持っていませんでした。しかし「歴史は繰り返す」との言葉通り、過去に起こったのと同様の災いは降りかかって来るものなので、それに対応するための備えとしても重要だったんですね。歴史を学ぶことが身を守ることに繋がる、この認識はなかったので読後の重要な気づきとなりました。

まさに温故知新。感染症と戦った江戸時代の人々から、知恵と勇気をもらえる一冊です。

江戸幕府の感染症対策 なぜ「都市崩壊」を免れたのか