興福寺に行くなら中金堂と国宝館はマスト。所要時間別のオススメコースを紹介。時間があるなら街歩きとセットで1300年の歴史を体験しよう。

興福寺東金堂(左、国宝)と五重塔(右、国宝)
興福寺東金堂(左、国宝)と五重塔(右、国宝)
世界遺産

世界遺産「古都・奈良の文化財」に登録されている興福寺。今年久しぶりに訪れる機会に恵まれました。せっかくだからと事前に興福寺の歴史を調べ、改めて訪れてみて、ここは押さえた方がいい!という観光ポイントについてまとめたいと思います。
奈良には見どころが多く、特定の観光スポットにのみ多くの時間はかけられないのが常なので、所要時間別にオススメの回り方を紹介したいと思います。

興福寺の全体像を把握しよう

興福寺は近鉄奈良駅から東へ徒歩5分ほど。奈良公園と近鉄奈良駅のほぼ中間に位置しており、奈良市街からアクセスしやすい立地となっています。

興福寺マップ。 地理感を把握しよう

興福寺マップ。
地理感を把握しよう

現在の興福寺敷地内で、建物の配置図は上図のようになっています。このうち、それぞれの建物に何が収蔵され、見学が可能かどうかをまとめると下記のようになります。

  1. 中金堂(通年見学可・有料):国宝(木造四天王立像)、重要文化財(木造薬王・薬上菩薩立像、厨子入り木造吉祥天倚像(きっしょうてんいぞう)、木造大黒天立像)
  2. 国宝館(通年見学可・有料):阿修羅像を含む間質八部衆像、乾漆十大弟子像、千住官能菩薩像など。ミュージアムショップあり。
  3. 東金堂(通年見学可・有料):国宝(維摩居士像、文殊菩薩像、四天王像、木造十二神将像)
  4. 五重塔:外観のみ通年見学可。釈迦の遺骨(仏舎利)を納めた塔。
  5. 北円堂:春と秋に特別開扉あり。
  6. 南円堂:外観のみ通年見学可。年に1回、10月17日のみ内部公開。
  7. 三重塔:外観のみ通年見学可。年に1回、10月17日のみ内部公開。

これら建造物の多くが、内部の仏像だけでなく建物自体も大変貴重なもの。③、④、⑤、⑦は国宝、⑥は重要文化財です。これだけ見どころがあると、なかなか拝観の時間配分が難しいところ。そこで所要時間別に、おすすめのコースをまとめたいと思います。

1. 時間がない!30分コース

奈良へ行ったのだから色々な観光スポットを見て回りたい!だから興福寺だけに時間をかけられない。そんな方には、①中金堂と④五重塔をおすすめします。

中金堂(①)

興福寺の中金堂は御本尊を納めるためのお堂ですが、江戸時代に火災で焼失した後再建されていませんでした。今回、300年ぶりに2018年12月に復元され、今では一般公開されています。京都・奈良には由緒ある名刹が多くありますが、建設年代が古いため創建当時の面影を知ることはなかなかできません。そんな中、興福寺の中心となる建物を創建したての状態で見ることができるなんて、今は一番良いタイミングです。

興福寺中金堂 (2018年12月に復元)

興福寺中金堂
(2018年12月に復元)

寺院を拝観するときは、まずは御本尊へお参りするのが礼儀です。堂内への入場は有料ですが、本当に時間がなければ外観(無料)だけでも。荘厳な建築に圧倒されます。彩色したての赤い柱と緑色の格子が見事。堂内には2018年に修復されたばかりの御本尊の釈迦如来が四天王や薬王・薬上菩薩に囲まれて金色の輝きを放っています。

五重塔(④)

興福寺五重塔(国宝)

興福寺五重塔(国宝)

奈良の大仏を建立した聖武天皇の皇后、光明皇后が作らせたもの。高さ50.1m。内部の拝観はできませんが、外観は無料で見学可能。絶好の撮影スポットです。

2.阿修羅などの仏像をじっくり見たい!2時間コース

せっかく興福寺に来たのだから、有名な仏像は見ておきたい。そんな方には、30分コースで紹介した①中金堂と④五重塔に加えて、②国宝館と③東金堂をお勧めします。

国宝館(②):所要時間1時間程度

ここには超有名でファンクラブができるほどの美仏、阿修羅像が展示されており、通年で一般公開されています。阿修羅像が興福寺を出て美術館などで展示されるときは大行列になりますから、この国宝館でゆったりと見られるのは興福寺ならでは。

興福寺 阿修羅像 (購入した絵葉書)

興福寺 阿修羅像
(購入した絵葉書)

興福寺は1300年の歴史の中で、何度も火災に見舞われ貴重な文化遺産を焼失していますが、この阿修羅像をはじめとした脱乾漆造八部衆立像は、奈良時代に作られた当時のまま奇跡的に現存しています。阿修羅像をじっくり見ると、1300年の時を超えうっすらと当時の彩色が残っていて感動します。ミュージアムショップもあり、ここでしか買えない阿修羅グッズも。

東金堂(③):所要時間15~30分程度

興福寺東金堂(左、国宝)と五重塔(右、国宝)

興福寺東金堂(左、国宝)と五重塔(右、国宝)

東大寺の大仏を建立した聖武天皇が、肉親の病気回復を願って作られた薬師如来(重要文化財)が本尊として納められています。他にも鎌倉時代に作られ12体すべてが現存する木造十二神将立像(国宝)や平安時代の四天王立像(国宝)も。また、仏師定慶じょうけいの作である木造維摩居士ゆいまこじ坐像と文殊菩薩坐像(国宝)もあり、見どころ満載です。

3.興福寺の歴史をもっと知りたい!1300年の歴史を体感する3時間コース

30分コース、2時間コースで紹介した①中金堂、②国宝館、③東金堂、④五重塔に加えて、⑤北円堂、⑥南円堂、⑦三重塔を見たのち、周辺を散策してかつての興福寺の規模と歴史を体感するコースです。

北円堂、南円堂、三重塔の内部は一般公開されていないため、散策しながら外観を見ることになりますが、これらは興福寺の敷地西端に位置するため興福寺がどのような土地に立っているか、地理的に体感することができます。もう一度マップを見てみましょう。

興福寺の歴史を紐解く散策マップ

興福寺の歴史を紐解く散策マップ

近鉄奈良駅から興福寺の方向(東向き)に歩くとよく分かるのですが、急な坂道を登っていく形になります。興福寺は平城京の東端にある台地の上に立っており、かつては北円堂の場所から平城京が一望できたそうです。この高低差は猿沢池(⑧)の方まで散策するとさらに良く分かります。
南円堂に対して、石段を下ると猿沢池があります。興福寺は見晴らしの良い台地の上に建っているのです。平城京を一望できる台地ということは、興福寺は天皇のいる御所をも見下ろすことができたということ。これは一体何を意味するのでしょうか?

猿沢池の辺りまで来ると興福寺の敷地を出る形になりますが、ここまで歩いてみて初めて、私は違和感を感じたのです。

それは、境内と周囲の町並みに敷地境界となる塀がなく、隣接した東向商店街や、春日神社、奈良公園に興福寺が溶け込んでしまっていることでした。通常、寺院は門があり、そこを入って本尊を納めた本堂へ至るわかりやすい道筋があります。一方、興福寺は1300年の歴史を持つ名刹であるにも関わらず、正門がなくどこからどこまでが敷地なのか、どこから入ったら良いのか迷うほど。また、本尊を納めた中金堂は最近になってようやく再建されるなど、伽藍が全て整備されていない印象を受けました。なぜこういう状況になっているのか?それは、興福寺の歴史を紐解くと見えてきます。

興福寺は710年、藤原氏の氏寺として建立され、その後朝廷直轄の官寺として大きな権力を得ました。藤原氏=645年に中大兄皇子とともに大化の改新を起こした藤原鎌足の子孫は、朝庭と縁戚関係を結ぶことで強大な権力を欲しいままにしました。特に藤原道長が有名ですね。藤原氏の権力を盾に、興福寺は朝廷の政策に対して強訴ごうそという形で抗議を行い、政策にも影響を及ぼしてきました。平城京→長岡京→平安京という度重なる遷都は、興福寺をはじめとした寺社勢力の影響から逃れるためだった、という学説もあるほど。

このころ興福寺の敷地は現在よりももっと広く、また資金源である荘園も持っていました。例えば、今の奈良公園の敷地はもともと興福寺のものでしたが、明治時代に国へ返還したもの。また、近隣に数々の門跡寺院も持っていたため、創建当時、興福寺の権力が及ぶ土地は広大なものでした。北側は現在の奈良県庁や奈良県立美術館周辺、東は奈良国立博物館、南は奈良ホテルなど荒池周辺(⑨)までが興福寺の敷地。奈良ホテルの周辺は、もともと興福寺の門跡寺院である大乗院の跡地。ここは名勝 旧大乗院庭園(https://www.narahotel.co.jp/daijyo_in_toha.html)として一般公開されています。

奈良ホテル周辺を散策して興福寺の方へ戻る途中、興福寺に隣接する春日大社の一ノ鳥居が見えてきます。これも興福寺の歴史を紐解くには重要なポイント。興福寺は藤原氏の氏寺ですが、春日大社は藤原氏の氏社なのです。両者は長きに渡って緊密に連携し、この関係が興福寺の危機を救うことになります。明治時代になると廃仏毀釈のあおりを受け、寺社勢力に対する風当たりが強くなります。すると興福寺の上層部は、かねてより交流の深い春日大社の神官に転身することでこれを乗り切りました。このとき興福寺の敷地は多くが奪われてしまいましたが、世界遺産に登録されたこともありかつての姿を復元する活動が行われています。

このコースでは長い距離を歩く街歩きになりますが、本来の興福寺の規模を体感し、激動の日本史を生き残ってきた歴史ロマンを十分に体感できるのです。興福寺を知れば日本史が分かると言っても過言ではありません。時間があれば周辺散策もぜひ。

4.まとめ:いま、興福寺が熱い!今後の復元に期待。

ここまで散策して興福寺の敷地の東隣、鹿とふれあえる奈良公園の広場(⑩)まで戻ります。奈良公園はもともと興福寺の土地でしたが、興福寺の衰退とともに建物や土地が切り売りされそうな事態になりました。そのとき、地元で「観光資源として興福寺を守る」運動が起き、公園として整備する形で残されたのです。奈良公園は鹿と遊べる楽しい場所ですが、こうした歴史を知るとちょっと見方が変わるのではないでしょうか。

奈良公園の鹿。ここももともとは興福寺の土地。

奈良公園の鹿。ここももともとは興福寺の土地。

興福寺の境内では「天平文化空間の再構成」というスローガンのもと、伽藍の復元のために寄付を募るキャンペーンを見かけました。昨年、中金堂の復元は叶いましたが、中金堂を囲む回廊は土台石のみが点在している状態で、また正門である南大門も土台のみ。かつて権力を欲しいままにしたトップ寺院としては不本意な状態ですよね。建立当時の状態が復元されればさぞかし壮観なことでしょう。今後の復元を楽しみに待ちたいと思います。

※本記事の執筆にあたり、歴史REAL 興福寺(2018年12月、洋泉社)を参考にしました。