皇族が住まなかった宮殿を、外交の場として再生した日本政府の英断。

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国宝に指定されている迎賓館赤坂離宮。特にベルサイユ宮殿のような本館は、見る者を圧倒する荘厳さと豪華さです。今では国賓をもてなすための外交施設として使用されつつ、通年で一般公開されていて私たちも気楽に訪れることができます。しかし、この迎賓館が現在のような姿で活用されるまでには、様々な紆余曲折があったのです。本記事では、迎賓館赤坂離宮の歴史を辿りつつ、外交施設として利用するお得な価値について書きたいと思います。

明治時代の国力を注いだ日本初の洋風宮殿には、皇族がほとんど住まなかった

迎賓館赤坂離宮 彩鸞の間

迎賓館赤坂離宮
彩鸞の間

画像出典:迎賓館赤坂離宮ウェブサイト(https://www.geihinkan.go.jp/akasaka/sairan_no_ma/

迎賓館赤坂離宮は、もともとは皇族が住むための洋風宮殿として明治時代に建設されました。洋風建築のノウハウがない中、当時最高の技術を持っていた匠の技術を結集して、皇太子であった後の大正天皇の住居として建てられたものです(この一大プロジェクトの困難さについては、別記事にまとめています)。欧米列強に負けないレベルの宮殿を作るぞ、という当時の気概が伝わってくる建築物です。しかし、血の滲むような努力と困難の末に作られた宮殿であったにもかかわらず、実際はほとんど皇族が住むことはなかったのでした。ちなみに皇族が実際に住んでいたのは下記の期間のみ。

  • 昭和天皇(摂政の頃):1923年~1928年
  • 今上陛下(皇太子の頃):1945年11月~1946年5月(6ヶ月間)

たったの5年6ヶ月しか皇族が住んでいないわけです。迎賓館(本館)の建設費は、現在の貨幣価値で2000億円超と言われており、これだけのコストを投入したのに皇族がほとんど住まなかったなんて、もったいないですよね。

皇族が住まなかった理由は諸説あり、そもそも居住予定であった大正天皇が病弱であったことのほか、明治天皇が「豪華すぎて住めない」と発言し、設計者がショックで寝込んだとの逸話も伝わっています。ものすごい苦労をして設計、建築したのに、そんなことを言われたら寝込むのも当然です。これだけすごいものを作ったのに、かわいそう…。

その後、第二次世界大戦の際には「白亜の宮殿」と呼ばれた迎賓館の白壁は敵機の爆撃を避けるために迷彩色に塗られ、外観・内装ともに経年劣化し、建設当時の美しい姿を失っていきました。ただし、徹底した地震・火災対策も幸いして戦時中も建物の被害がなかったため、戦後の混乱の中、一時的に政府の施設として使われました。

戦後しばらく日本はアメリカの占領下にあり、国際社会に復帰できない状態であったため、そもそも外交活動を行うことができませんでした。しかし主権を回復し、徐々に諸外国との国交が回復すると、国賓をもてなす施設が必要になります。そこで日本政府は、荒れ果てていた迎賓館赤坂離宮を修復して国賓を招く外交施設として利用することにしたのです。私は、政府のこの判断は英断だと思っています。なぜなら、コスパが最強だからです。

迎賓館を外交舞台として活用するのがお得な理由3つ

①コストが安い

イチからこのレベルの建物をつくろうと思えば、修復に着手した昭和40年代の貨幣価値で2000億円か、それ以上かかるとの試算が出ていました。一方、迎賓館を再生するにあたって内装や外観の修復が必要ではありましたが、総工費は修復当時(昭和40年代)の貨幣価値で110億円。このくらいのコストで本格的な洋風宮殿が再生できるのなら、新たに建設するよりも圧倒的にお得です。

②立地が最高

迎賓館赤坂離宮は都心の一等地(東京都港区元赤坂)にあり、首相官邸や皇居から非常に近いです。この立地条件は、国賓を招いた際に大きなメリットとなります。

国賓で来日するような方々は、かなりのタイトスケジュールで動いています。限られた訪問日程の中で、多くの予定をこなさなければならないため、移動時間は極力短くしたいもの。首相官邸や皇居から近い場所に外交施設があれば、多忙なスケジュールの中にも組み込みやすく、とても都合が良いのです。

ちなみに、迎賓館赤坂離宮のモデルとなったフランスのベルサイユ宮殿は、やはり外交施設として利用されていますが、パリから遠くて不便(中心部から約20km、車で30分程度)という理由で1975年以降は国賓の宿泊が取りやめとなりました。外交施設の立地がいかに重要であるかがよくわかります。

③クオリティが最高

迎賓館赤坂離宮の本館は1909年に完成していますが、この頃に建設されたヨーロッパ風宮殿は世界にも極めて例が少ないうえに、当時第一線で活躍した美術家の作品が結集した美術品の塊です。貴重な美術品に囲まれた文化財の中で国賓をもてなすということは、日本の威信を海外に示すことになります。

また、もともと国際社会の外交儀礼は欧米のものに基づいています。たとえば晩餐会の正餐はフランス料理とされ、ワインとともにもてなすのが伝統になっています。最近ではフランス料理ではなく、独自の料理を出す国も増えてきているようですが、フランス式の伝統は根強く残っています。会場も同様で、西欧各国で国賓を交えた晩餐会が行われるのは、イギリスではバッキンガム宮殿、フランスではエリゼ宮殿やベルサイユ宮殿と、絢爛豪華な王侯貴族の宮殿が用いられます。日本にもヨーロッパと同等の宮殿があれば、同レベルのもてなしが可能になり、相手国と対等な関係が築けます。したがって本格的な西洋宮殿で、西洋風のハイクオリティなもてなしを行うことで、西欧の規範を理解し実践できる先進国だということを相手国にアピールできるのです。そういう意味で、ベルサイユ宮殿をはじめとしたヨーロッパ宮殿に準じて作られた迎賓館は、国賓を招くのにぴったりの施設ですよね。

明治時代、欧米列強に追いつき追い越せで作られた、ヨーロッパのそれと比べても遜色のない宮殿が、いま日本の外交でも役立ってくれているのです。

和風のもてなしを追加して、さらにレベルアップ

迎賓館赤坂離宮
和風別館の盆栽。
(筆者撮影)

昭和40年代に行われた改修の際、和風のもてなしを行う外交施設として和風別館(游心亭)が作られました。西洋風のもてなしを行うだけでなく、和風の「おもてなし」も追加し、日本独自の文化をアピールしようという狙いです。和風+洋風、どちらのもてなしも可能であることを示し、幅広い接遇ができる懐の深さを相手に示すことができます。相手国に日本文化を紹介し、売り込むうえでも一役買っている施設です。見どころは別記事にまとめています。

まとめ:迎賓館を見れば、日本の外交戦略がわかる

迎賓館赤坂離宮に行ってみると、建物や内装、美術品の素晴らしさに圧倒されますが、それらが外交活動にどのように利用されているかもわかってきます。迎賓館赤坂離宮のコスパに気づき、明治時代の遺産をフル活用して大きな外交的価値のある施設を作った日本政府。なかなかやるじゃんと思った次第です。