「ウィーン・モダンークリムト・シーレ 世紀末への道ー」:ウィーンが芸術の都として発展した理由がわかる!美術、音楽、デザイン、建築、都市計画まで網羅した総合文化展。

ウィーン・モダン展 (国立新美術館)
ウィーン・モダン展 (国立新美術館)
アート

オーストリアの首都・ウィーンの美術と言えばクリムトやシーレ。そしてウィーンは音楽の都として知られており、特にシューベルトやヨハン・シュトラウスなど様々な音楽家を生み出したことでも有名ですよね。私はウィーンで活躍した芸術家のことは知っていたものの、なぜウィーンで芸術が発展したのかは理解していませんでした。この疑問に膨大な展示数で答えてくれる展覧会、「ウィーン・モダンークリムト・シーレ 世紀末への道ー」が東京・六本木の国立新美術館で開催中です。

これ、ただの美術展ではありません。ひとつの展覧会とは思えないくらいの膨大な展示で歴史・文化・政治の経緯がよく分かるため、大変お得です。それもそのはず、現在改装のためウィーンミュージアムが休館中なので、その所蔵品が400点超来日する機会に恵まれており、美術だけでなく歴史や風俗もまるっと分かるような企画になっています。ウィーンへ実際に行って美術館や博物館をがっつり見るような体験が、日本国内の美術館でできるという機会です。

歴史の流れを辿りながら、ウィーンで美術や音楽などの文化芸術が発展したのはなぜなのか無理なく理解できるようになっています。そしてその流れの中で生まれたクリムトの名画も見ることができます。

名君による改革で、自由を謳歌

時は18世紀まで遡ります。フランス革命で処刑されたフランス王妃、マリー・アントワネットの母親であるマリア・テレジアの肖像が会場入口で出迎えてくれます。「ベルサイユのばら」でもおなじみの女帝です。

マリア・テレジアの息子であるフランツ・ヨーゼフ2世の時代、様々な改革が行われました。これがものすごく近代的な改革なんです。↓

  • 「寛容令」を出してカトリック以外の宗教を容認
  • 死刑や農奴制を廃止
  • 総合病院を建設、近代医学を実践

当時としては画期的な改革ですよね。日本に置き換えて考えると、宗教の自由が保証されたのは戦後ですし、死刑制度に至ってはまだ残っているくらいなので、先進的な改革であったことは間違いないと思います。こうしたリベラルな国が近くにあれば、そこで自由に芸術活動をしようと思う芸術家が移り住むのは自然な成り行きでしょう。だから芸術家がウィーンに集まったのか~、と納得です。

ナポレオンの支配後、ビーダーマイアー時代

その後ウィーンはナポレオンの支配を受けますが、1814年のウィーン会議以降、1848年のウィーン3月革命が起こるまでの間はビーダーマイアー時代と呼ばれます。この頃は検閲が厳しく、対外的に芸術を発信するには障害がありましたが、家庭生活に使用される調度品などは規制の対象になりにくかったのです。そこで食器、衣服、家具調度品などのデザインが発展し、モダンデザインの先駆けとなりました。当時の家具や食器が展示されていますが、現代のインテリアにも合いそうなミニマルなデザイン。

この頃は作曲家シューベルトが活躍した時代。シューベルトの肖像画や、愛用のメガネまで展示されています。

作曲家フランツ・シューベルト(1875年頃、ヴィルヘルム・アウグスト・リーダー) ウィーンミュージアム蔵 ※画像はwikimedia commonsより

作曲家フランツ・シューベルト(1875年頃、ヴィルヘルム・アウグスト・リーダー)
ウィーンミュージアム蔵
※画像はwikimedia commonsより

この肖像画、学校の音楽室の壁に貼ってあったなあ…。まさか実物に日本で会えるとは。

都市計画によるウィーンの発展

ウィーン3月革命が終わり、フランツ・ヨーゼフ1世の時代になると様々な改革が行われます。そのひとつが都市整備です。ウィーン旧市街を囲んでいた城壁を撤去して「リンク通り」という環状道路を作り、市街地を拡張するとともに近代的な建造物を整備し、それに伴ってウィーンの建築も発展していきました。建築が発展するということは、その内装を彩る装飾の需要も増えるということ。こうして美術分野も発展していったんですね。

この頃のオペラ座の様子を描いた「旧ブルク劇場の観客席」(クリムト)が当時の様子を物語っています。これ、それほど大きな作品ではないのですが、ひとりひとりの人物の表情まで細かく描き込まれていて緻密です。ぜひ単眼鏡で拡大してみてください。

旧ブルク劇場の観客席 (1888年、グスタフ・クリムト作) ウィーンミュージアム蔵 ※画像はwikimedia commonsより

旧ブルク劇場の観客席
(1888年、グスタフ・クリムト作)
ウィーンミュージアム蔵
※画像はwikimedia commonsより

1873年にはウィーン万国博覧会も開かれ、そこでは日本がはじめて国家として参加。様々な日本文化が紹介され、ウィーンでもジャポニズムが発展しました。クリムトも日本の影響を受けたことが知られていますね。

本展では、「愛;『アレゴリー 新連作』のための原画」が展示されていますが、両端の金箔と梅の花が、まるで日本の金屏風のよう。

「『愛(アレゴリー:新連作)』のための原画」 (グスタフ・クリムト、1895年) ウィーンミュージアム蔵 ※画像はwikimedia commonsより

「『愛(アレゴリー:新連作)』のための原画」
(グスタフ・クリムト、1895年)
ウィーンミュージアム蔵
※画像はwikimedia commonsより

19世紀末のウィーン美術

こうした流れの中で新しい芸術を模索して誕生した「ウィーン分離派」。その初代会長が、かの有名なクリムトです。デッサンや、作業中に使用していたスモッグまでもが展示されていますが、やはり見逃せないのは下記2点でしょう。

「パラス・アテナ」

パラス・アテナ (1898年、グスタフ・クリムト) ウィーンミュージアム蔵 ※購入した絵葉書の写真

パラス・アテナ
(1898年、グスタフ・クリムト)
ウィーンミュージアム蔵
※購入した絵葉書の写真

ウィーン分離派を結成した翌年の1898年に制作されたもの。金箔を用いた絵画表現の先駆けがみられます。工芸や戦闘を司るギリシア神話の女神を描いたこの作品は、現代的な強い女性のイメージでしょうか。胸元には見る者を石に変える怪物メデューサの首が黄金に輝き、女神の強さに畏怖を感じます。

クリムト「エミーリエ・フレーゲの肖像」

生涯結婚せず、多くの愛人を持ったクリムトですが、特にエミーリエ・フレーゲとの繋がりは深かったのだそう。エミーリエ・フレーゲは当時としては珍しく、自らブティックを経営する自立した女性。彼女の肖像画がこちら↓(この作品のみ、写真撮影可でした!)

「エミーリエ・フレーゲの肖像」 (1902年、グスタフ・クリムト) ウィーンミュージアム蔵

「エミーリエ・フレーゲの肖像」
(1902年、グスタフ・クリムト)
ウィーンミュージアム蔵

勝気な表情とポーズはまさに自立した女性のイメージ。このファッションセンスは現代でも通用しそうだなぁと思ったら、この絵画にインスピレーションを得て、文化服装学院の学生さんが再現されたエミーリエ・フレーゲのドレスも展示されています(休憩スペースにあります)。今見ても全然古びた感じがしないファッション。

文化服装学院によるエミーリエ・フレーゲのドレス

文化服装学院によるエミーリエ・フレーゲのドレス

まとめ

音楽・美術分野でのウィーンの発展は、偶然ではなく必然だったんだなあと納得した展覧会でした。君主によるリベラルな国家づくりや都市整備など、政治経済の発達を土台として、建築・デザイン・音楽・美術が発展し、様々な芸術家が生まれていったのです。本展は展示品が多く見応え十分ですし、実際にウィーンへ行って美術館と博物館を回るのと同じ体験ができます。美術だけでなく、建築やデザインに興味がある人にもおすすめです。

ウィーン・モダンークリムト、シーレ 世紀末への道ー

会期:2019年4月24日〜8月5日
場所:国立新美術館
公式サイト:http://www.nact.jp/exhibition_special/2019/wienmodern2019/

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