迎賓館は明治時代の国力を結集した総合芸術。都心にベルサイユ宮殿があったなんて…と、度肝を抜かれた話。

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国宝・迎賓館が通年で一般公開。本館の外観に圧倒される。

海外から国賓としてVIPが来日された際、「迎賓館で会談しました」というようなニュースが流れますが、そもそも迎賓館ってどこにあるのか、どんな建物なのか私は知らずにいました。

ちなみに地図はこちら↓。JR、東京メトロ四ツ谷駅から徒歩10分程度、東宮御所のある赤坂御用地に隣接しており、都心の一等地にあります。

迎賓館(正式には迎賓館赤坂離宮)は海外からの国賓をもてなすための施設であり、以前は一般人の立ち入りが許可されていませんでした。例外的に年に数日間のみ、抽選で見学が可能でしたが、その抽選に当たるのは難しく、実態はほとんど不明なままでした。しかし、2016年から通年で一般公開されることとなり、見学のハードルが下がったので訪問してきました。

※迎賓館には本館と和風別館がありますが、本記事では国宝に指定されている本館について記載しています。

正面の外観はこちら↓。ここが日本だとは到底思えない。「ちょっとヨーロッパへ行ってきました!」と言っても信じてもらえそうです。

画像の出典:内閣府迎賓館ウェブサイト(https://www.geihinkan.go.jp/akasaka/history/

迎賓館赤坂離宮 外観。

迎賓館赤坂離宮
外観。

私はフランスのベルサイユ宮殿に行ったことがあるのですが、その時の衝撃がよみがえりました。迎賓館を見た最初の感想が「これってベルサイユ宮殿だよね?!都心にこんなところがあったなんて…」という驚きでした。そして建設された背景を知り、「よく明治時代にこんなもの作れたな…」と驚愕したのです。

迎賓館(本館)が作られた経緯から、プロジェクトの困難さとスゴさがよくわかる

日本は1868年に明治維新を迎え、欧米列強との国力の差を克服するため、富国強兵政策をとります。こうした流れの中で、西欧諸国に引けを取らない洋風の東宮御所の必要性が叫ばれるようになり、1899年から着工され、1909年(明治42年)に完成しました。こう書くと、簡単なプロジェクトに見えますが、経緯を調べてみると途方もないチャレンジであったことがよくわかります。

当時は洋風建築のノウハウが乏しかった

江戸時代には鎖国をしているため、この頃は当然洋風建築のノウハウなどありません。開国と同時に洋風建築の知識は入ってきていましたが、迎賓館の着工時点ではまだ洋風建築の技術蓄積は30年程度。長年培われた和風建築の専門技術と比較すれば、洋風建築の経験はまだまだ不十分だったと考えられます。このタイミングで「西欧レベルの宮殿」を建設することは、その試みだけで壮大な挑戦です。

和風建築と洋風建築が根本的に違う点は、構造の支え方。西洋建築は、石やレンガの厚い壁で構造を支えるため、窓や出入り口などの開口部は狭くせざるを得ません。その分、壁面が広くなるため室内の装飾が発達しました。一方、和風建築では木材の柱と梁で構造を支え、壁は厚くなく、開口部は大きく取られています。洋風建築を設計し建設するには、従来の和風建築とはまったく異なる要素が多く、開国したての明治時代にそれを実践するのは困難をきわめたと思われます。

地震対策

地震大国ニッポン。日本の建築物には、常に地震による倒壊リスクがつきまといます。迎賓館の構想段階から、地質研究者の助言を得ながら最適な立地が選択されました。迎賓館はべルサイユ宮殿をはじめとしたヨーロッパの宮殿をモデルとして建設されましたが、そもそもヨーロッパは地震のリスクが低いです。地震対策に関しては西欧から学べるところが少なく、日本独自の対策を考え、実行する必要があったと推察されます。

優美な外観からは想像できませんが、壁の中には縦横に鉄骨が入っています。壁の占める面積は全体の3割あり、全体の構造が分厚い壁で支えられています。この強固な構造と厚い壁のため、関東大震災でも被害はありませんでした。鎖国から開国してたった30年で、洋風建築に完璧な地震対策を実行できたとは、本当に驚きです。

火災対策

もうひとつのリスクは火災です。世界最大の都市であった江戸は、江戸時代から何度も大火を経験していますし、1873年(明治6年)には皇居も火災で焼失しました。国家の威信をかけて建設する新宮殿が簡単に焼失してしまっては困るので、床に鉄材を用い、屋根は鉄+銅板を使用するなど、万全の火災対策が施されています。

尋常でないコストと、計り知れない現在の価値

総工費約510万円(明治時代の貨幣価値)=現在の貨幣価値で単純換算すると941億5110万円を要したとの記録があります。明治30年代にどうやってこれほどの予算を確保したのか。富国強兵のもと、経済成長で得られた資金なのか、明治維新で江戸幕府や各藩から委譲された資産がそこそこあったのか、財源は不明ですが、相当なコストがかけられていたことは間違いないです。

1974年、迎賓館では昭和の大改修が行われました。この時の専門家の見解では、今となっては入手困難の材料が多いため、2000億円かけても同等の建築物を建てることは難しいとのこと。歴史的、美術的価値も含めれば、値段の付けられない価値をもつ建築物です。

本館の内装は貴重な美術品のオンパレード

現在一般公開されているのは花鳥の間、彩鸞の間、羽衣の間、玄関ホール、庭園(前庭および主庭)です。それぞれの見どころは下記の通りです。

※本館の外観と庭園は撮影可能ですが、本館内部は撮影禁止です。本館内部の画像は迎賓館赤坂離宮ウェブサイトから引用しています。

花鳥の間

迎賓館赤坂離宮 花鳥の間

迎賓館赤坂離宮
花鳥の間

画像の出典:内閣府迎賓館ウェブサイト(https://www.geihinkan.go.jp/akasaka/kacho_no_ma/

国賓来日の際、晩餐会に使用される部屋です。こちらの見どころは、天井部分と壁面に飾られた楕円形の七宝です。

天井を見上げると、フランス人画家の手による天井画が全面を覆っており、そこから三基の巨大なシャンデリアが下がっています。これは建設当初にフランスから輸入されたもの。大きさ、装飾の豪華さに圧倒されます。

壁面に飾られているのは、花鳥がモチーフとなった七宝。上記画像で、窓と窓の間に楕円形の七宝が見えます。下絵を描いたのは、日本画家の渡辺省亭。そして七宝焼の焼成は、卓越した技術で帝室技芸員(当時美術・工芸家にとって最高の栄誉であった名誉職)に選出された、涛川惣助の焼成です。四季の植物と鳥を描いた優美な図柄で、色彩の表現と艶やかな光の反射が華やかで見事。

天井画とシャンデリアは完全に洋風の装飾なのですが、壁面のデザインは木材の板張り+日本画の七宝で和風。西洋の美と日本の美が融合しています。

彩鸞の間

迎賓館赤坂離宮 彩鸞の間

迎賓館赤坂離宮
彩鸞の間

画像の出典:内閣府迎賓館ウェブサイト(https://www.geihinkan.go.jp/akasaka/sairan_no_ma/

晩餐会来客の国賓への謁見、国賓のテレビインタビュー、首脳会談などに使用されています。この部屋は花鳥の間とは異なり、洋風のデザインが多い印象を受けます。

石膏の真っ白な壁と天井いっぱいに、金箔で彩られたレリーフが映えます。レリーフの図柄をよく見てみると、鳳凰、

スフィンクス、楽器や武具など、いろいろなデザインがあって面白いです。

天井を見上げると、無数のクリスタルで彩られたシャンデリアに圧倒されます。(これも建設当初、フランスからの輸入品)

羽衣の間

迎賓館赤坂離宮 羽衣の間

迎賓館赤坂離宮
羽衣の間

画像の出典:内閣府迎賓館ウェブサイト(https://www.geihinkan.go.jp/akasaka/hagoromo_no_ma/

もともとダンスホールとして設計されたもので、オーケストラボックスを備えた構造になっています。現在は首脳会談などに利用されています。

天井はフランス画家による巨大な絵画で覆われ、壁面は「彩鸞の間」と同じく白地に金のレリーフ。よく見ると、レリーフの柄は和洋の楽器がモチーフになっていてダンスホールならでは。

玄関ホール・大ホール

本館正面入口を背にして立つと、赤絨毯の敷かれた階段で上階へ登っていく趣向で設計されています。

迎賓館赤坂離宮 正面階段と大ホール

迎賓館赤坂離宮
正面階段と大ホール

画像の出典:内閣府迎賓館ウェブサイト(https://www.geihinkan.go.jp/akasaka/entrance_hall/

上階へ上がった先には、白地に金のレリーフで囲まれた豪華絢爛な空間(大ホール)が広がります。訪問者が圧倒的な美を見せつけられる瞬間です。

現在修復中の「朝日の間」へ向かう正面には、洋画家・小磯良平の手による2枚の絵画が壁面を飾っています。

庭園

迎賓館赤坂離宮 本館の外観(筆者撮影)

迎賓館赤坂離宮
本館の外観(筆者撮影)

建物の正面には広大な前庭があります。主庭は全て石畳。本館の荘厳な外観に圧倒されます。よく見ると、本館の屋根付近に鎧兜や天球儀などの装飾が施されています。

迎賓館赤坂離宮 本館正面 (筆者撮影)

迎賓館赤坂離宮
本館正面
(筆者撮影)

正面入口の、ドアのところまで行って見ることもできますよ。

迎賓館赤坂離宮 本館正面入り口の扉 (外から、筆者撮影)

迎賓館赤坂離宮
本館正面入り口の扉
(外から、筆者撮影)

裏側にある主庭。ここには玉砂利が敷き詰められています。国宝に指定されている優美な噴水が、本館の外観を彩っています。とても日本とは思えない非日常感。

迎賓館赤坂離宮 主庭にある噴水(国宝)。 (筆者撮影)

迎賓館赤坂離宮
主庭にある噴水(国宝)。
(筆者撮影)

まとめ:行って損はない日本の国宝

建物全体が貴重な美術品と言える、迎賓館(本館)。和洋の意匠を巧みにとりいれ、明治時代に欧米列強と遜色のない宮殿を建設した、当時の技術者たちに頭が下がります。

迎賓館(本館)のみに個人で行く場合は、予約は必要ありませんので、比較的気軽に訪れることができます。都心の好アクセスの場所にあるので、関東圏にお住いの方だけでなく、遠方から来られる方でも立ち寄りやすいと思います。

とにかく圧倒される建築物ですので、一度は行ってみることをお勧めします。

※見学は通年実施されていますが、国賓来日などの予定がある場合は見学できません。開館予定を公式HPでチェックしてから行くことをお勧めします。
※20名以上の団体の場合は事前予約が可能です。また、和風別館の見学を希望する場合は予約が必須になります。

迎賓館赤坂離宮
〒107-0051 東京都港区元赤坂2-1-1
公式サイト:https://www.geihinkan.go.jp/akasaka/

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