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奈良の大仏で知られる東大寺。その敷地内にたたずむ正倉院は、奈良時代から厳重な管理のもと、皇室の貴重な宝物を守ってきました。正倉院の宝物は非公開ですが、年に一度だけ、毎年秋に奈良国立博物館で一部の宝物が期間限定で公開されています。毎年秋になると「あ~、奈良の正倉院展に行きたいなぁ…」と思うのですが、わたしは東京在住のためなかなか実現できずにいました。そんなとき、令和最初の正倉院展に関する朗報が飛び込んできたのです!!
正倉院宝物がまとまって東京で展示されることはめったにありませんが、今年は天皇陛下の御即位記念ということで、特別に東京・上野の東京国立博物館で正倉院宝物の展覧会「特別展 正倉院の世界」が行われ、40点あまりの品が出品されました。これは見逃せない!と思ったので行ってきました。
わたしは正倉院宝物の実物を今回初めて見たので、多くの発見がありました。
Index
1. 正倉院はなぜ奇跡のタイムカプセルとなったのか?
そもそも、正倉院が作られたのは奈良の大仏を造営した聖武天皇の時代。聖武天皇の崩御に伴い、光明皇后が故人となった天皇を悼み、ご冥福を祈って天皇ゆかりの宝物を東大寺に寄進したことが始まりと言われています。そうなると1200年を超える長い間それらの品々が守られたことになりますが、なぜそのようなことが可能だったのでしょうか。
立地と保存方法
正倉院のある東大寺は、奈良市内の東側に位置しており、市内を見下ろす丘の上に立っています。さらに東大寺の敷地の中でも少し小高い部分に建設されており、水害や湿気の影響を受けにくく立地に恵まれていました。また、宝物の保管方法も重要でした。何重にも重ねられた木製の唐櫃に手厚く納められていたおかげで、湿度や温度の急激な変化から守られ、宝物の劣化が最小限に抑えられました。
本展の撮影スペースには、実物大の正倉院セットがあります。近くで見ると意外に大きい!
厳重な管理
今回正倉院展に行ってみて初めて知ったのは、正倉院が東大寺の中の施設でありながら宮内庁の管轄であるということ。それもそのはず、今も昔も正倉院の扉を開けるためには天皇の許可が必要なんです。正倉院の扉は施錠されたうえ、天皇陛下のご親署とともに麻紐で封印が行われ、厳重に守られてきました。今でも開扉の際は天皇陛下からの勅使が東大寺へ向かい、所定の儀式に従って年1度の開扉と所蔵品のメンテナンスが行われています。
世代を超えて受け継がれる矜恃
万全を期して管理されていた正倉院にも様々な危機が訪れたようです。鎌倉時代には雷が落ちて出火したところをすんでのところで消止めたり、泥棒が入りいくつかの宝物が盗難に遭う事態にも見舞われました。しかしながら各時代でや修復が行われ、後世に受け継がれてきました。特に明治時代からは本格的な修復が始まり、そのおかげで今私たちは正倉院宝物の美しい姿を見ることができます。展示にもありますが、塵芥と呼ばれる既に損傷してしまった宝物の断片・屑すらも大事に保管しているのです。なぜなら、塵芥は宝物が作られた当時の製作手法や材料を読み解くのに有用だから。こうした宝物を守るすべての人の努力を忘れてはならないと思います。
2. 国際色豊かな絢爛豪華な宝物に圧倒される空間
展示会場の入り口を入ると、全長14.7メートルにも及ぶ東大寺献物帳(国家珍宝帳・11/4までの展示)が出迎えてくれます。これは聖武天皇の四十九日法要の際、妃である光明皇后が天皇ゆかりの宝物を東大寺に寄進し、天皇のご冥福と国家の安寧を願った時に作られた目録です。1200年前のものなのに、紙の破損や虫食いがほとんどなく、びっくりするほど保存状態が良いのに驚きます。前文には聖武天皇への愛情と夫を失った悲しみが溢れ、いつの時代も愛する人を失った悲しみは同じように深いのだと心を打たれます。それに続く目録には聖武天皇が生前愛用していた品々が細かく記されています。そして末文には、「これらの品々を見ると、生前の聖武天皇のお姿を思い出し心が苦しくなるので、どうぞお納めください」と結ばれており、故人の形見の品に対する思いは時代を超えて普遍的なのだと感動します。この目録が1200年にわたって保存されてきたおかげで、宝物の名称や由来などを照合することができ、それぞれの宝物が当時どのような名前で呼ばれていたのか、どんな宝物が失われてしまったのかなどを追跡調査することが可能になっており、史料としても大変貴重なものです。
正倉院宝物はどれも圧倒的に美しく、1200年前のものなのに今見ても全く古びた感じがしないデザイン性も素晴らしいです。特に見逃せないのは、螺鈿紫檀五弦琵琶(実物は11/4までの展示、複製品は通期展示)。五弦の琵琶はインドが起源と言われていますが、現存するのは正倉院宝物であるこの1点のみ。世界的に見ても大変貴重なものです。画像は、撮影可能スペースに展示されていた複製品の写真です。
画像では伝わりにくいのですが、表面の花のような模様は螺鈿、べっ甲、琥珀でできています。琵琶を演奏する際にバチが当たる部分には、ラクダに乗って琵琶を弾くペルシア人が螺鈿で描かれています。さらにもっとすごいのは、裏面の装飾です。
裏側は横からしか撮影できなかったので全体が見えづらいのですが、一面に螺鈿を用いた草花の模様がびっしりと描かれ、光を反射してキラキラと光り目もくらむほど。花弁の中心は琥珀を彩色したもので彩られ、琵琶の側面にもべっ甲で装飾が施されています。まるで世界中の富がここに凝縮されているようです。側には当時の材料・技法を用いて緻密に再現された複製品の展示もありますが、この複製品を作るのに8年もの歳月がかかったそうです。いかに美術的価値が高いかが分かりますよね。
その他にも螺鈿、琥珀、トルコ石などの宝石で彩られた鏡、緻密な金属細工が施された香炉、エキゾチックなデザインの織物、優美な曲線を描くガラスの器など、「これホントに1200年前のもの?!」と思ってしまうくらい国際色豊かで現代的なデザイン。コレ欲しいな…と思ってしまうようなデザイン性の高いものばかりです。正倉院宝物を間近に見られる貴重な機会なので、細部まで見るために単眼鏡や双眼鏡を持参することをお勧めします。
なぜこの時代(8世紀頃)に、日本や中国では手に入らない材料・デザインのものが日本にもたらされたのか?それはユーラシア大陸の西と東をつなぐシルクロードが整備されたから。正倉院は「シルクロードの終着点」と呼ばれます。ペルシャから中国・唐を経由して日本に伝わった異国文化は、今も昔も日本人を虜にしているのです。そしてこれらの絢爛豪華な品々は、主に中国・唐で作られたと考えられています。この時代は、唐の全盛期。シルクロードを通じて世界中の富が中国に集められ、多くの宝物が作られました。唐の皇帝はこれらの宝物を周辺諸国に贈ることで、皇帝の威信を示していたのです。確かに、こんなすごいものを作れる国と戦争しようなんて誰も思わないですよね。宝物を使ったマウンティングです。
そして唐から入手した貴重な宝物は、日本国内でも天皇家の権威を高めることにつながりました。この時代、これほどの品を持つ権力者は天皇以外にいないはずなので、天皇を中心とした中央集権を推し進めるのに有利に働きました。これだけの政治的価値を持つ宝物だからこそ、1200年もの間大事に守り伝えられてきたという側面もあるのでしょう。
3. 足利義政、織田信長…。歴代の権力者を虜にした正倉院宝物
こうした宝物の力を、歴代の権力者たちが見逃すはずはありません。源頼朝、足利義政、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康…など錚々たる権力者たちが正倉院を開扉させています。となれば宝物も無傷ではいられません。本展では正倉院宝物のひとつ、黄熟香(別名:蘭奢待)と呼ばれる香木が展示されています。東南アジア地域でしか産出しない貴重な香木で、現代まで大事に守り伝えられてきましたが、時の権力者が手を出したあとが残っているのが面白い。この香木を室町幕府8代目将軍足利義政、織田信長が切り取ったあとがバッチリ残っているのです。時代的におそらく最初に手を出したのは足利義政。そのすぐ隣には、織田信長が切り取ったあとがあります。足利義政は東山文化を花開かせたことで有名ですし、織田信長は茶の湯を発展させるなど、いずれも文化に造詣の深い権力者は正倉院宝物の価値を誰よりもよく分かっていたのかもしれません。
香木は権力者によって切り取られましたが、歴代の天下人も他の宝物には手を出していないところを見ると、さすがに正倉院宝物は私利私欲のために利用してはらないと思わせる畏怖があったのかもしれません。
1200年の時を超え、歴史のダイナミズムを今に伝える正倉院宝物。地域や時代の違いを超えた美術品の価値と、美術品を取り巻く権謀術数に思いを馳せることができる芸術の秋にぴったりな展覧会です。前期・後期で展示品が異なるので、事前に展示作品リストを確認してから行くことをお勧めします。
会期:2019年10月14日(月) ~ 2019年11月24日(日)<終了>
会場:東京国立博物館 平成館(東京・上野)
公式サイト:https://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=1968
展示作品リスト:https://www.tnm.jp/modules/r_exhibition/index.php?controller=item&id=6037
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