ビジネスパーソンに役立つアートとは?葛飾北斎のおかげでフランス人上司と打ち解けた話

年末、大手広告代理店の電通が「ビジネスにおけるアートの活用を支援するコンサルティング事業」を立ち上げたというニュースを見た。その名も「美術回路」というWebサイト(https://www.bijutsukairo.com)がつくられ、アート体験から得たインスピレーションをマーケティングや企業戦略に生かすというコンセプトのようだ。美術回路がこれからどんなプロジェクトを推進していくのか、「アートを高度な経営戦略に生かすって、どうやってやるんだろう?」とアート好きとしては興味津々。

美術回路のコンセプトとはちょっと違うが、「ビジネスにアートが役立つ」という話は以前から語られており、こうした主張で書かれた書籍はここ数年で何冊か発売されている。そのひとつが、西洋美術史家の木村泰司先生による「西洋美術史 世界のビジネスエリートが身につける教養」(ダイヤモンド社、Amazon楽天ブックス)。欧米においてグローバルビジネスの上層部で働く人々は美術に造詣が深い人が多く、会食の場面などで一般教養レベルの話として西洋美術の話題が出るため、日本のビジネスパーソンも最低限の西洋美術の知識が必要。そこで、知っておくべき最低限の西洋美術知識を凝縮したのがこの本なのだ。個人的には大変納得する内容だったのだが、仕事で欧米人と接する機会がなければピンとこない話かもしれない。そこで、わたし自身がアートの力でフランス人とのビジネスミーティングを乗り切った話を書いてみたいと思う。

フランス企業の日本法人に勤めていたときのこと。ある日、上司からパリにあるフランス本社へ1週間の出張を命じられた。外資系企業において、本社出張というのは極度の緊張を強いられる。フランス本社に出張している間、自部門の人間だけでなく、他部門のさまざまな関係者とも1時間単位で隙間なくミーティングが組まれる。当然、相手はすべてフランス人。だいたい1週間の出張で、多い時は30人程度とミーティングしなければならないこともある。そしてミーティングの相手のほとんどは、初対面だった。というのも、この出張の主目的は、フランス本社とのパイプを作ることだったからだ。

日本法人に勤める社員にとって、本国側の人間はすべて「上司的存在」と認識される。本国側は強力な権限と潤沢なリソース・情報を持っているので、より多くのフランス本社の人間と信頼関係を築いている方が、日本での仕事が圧倒的に進めやすくなるのだ。だからこそ、自部門の人間だけではなく、初対面の他部門の社員とも会って直接話をし、人間関係を築いてこい、というのがこの出張の趣旨であった。

日本から本社へ出張するときはだいたいお土産を持っていくようなので、同僚の意見を聞きつつ、何を手土産にしようかな~と考えた。お菓子が鉄板だが、和菓子はNGなものが多い(フランスでは餡子を嫌う人が多い。理由は「豆を甘く煮てお菓子にするのは受け入れ難いから」らしい)が、抹茶はOKだとか、食べ物関係はややこしいなあ…と思って探していると、良いものが見つかった。それは、 浮世絵柄のクリアファイル。葛飾北斎の富嶽三十六景の一つ、赤富士の別名で呼ばれる「凱風快晴」をモチーフとしたもの。


浮世絵クリアファイル 凱風快晴

お菓子はスーツケースの中で潰れたり、かさばったりするデメリットがあるが、クリアファイルなら薄く平たいのでコンパクトだし、スーツケースの底に入れれば変形することもない。1枚180円なので、多く持って行ってもお財布に優しい。さらに、お土産を渡すついでに日本文化の紹介ができるし、クリアファイルなので書類を入れて使ってもらうこともできる。浮世絵はフランスの印象派美術に影響を与えたはずなので、浮世絵好きのフランス人は多いかもしれない。これは良い!ということでスーツケースに詰め込み、フランスへと向かった。

フランス本社での度重なるミーティングの中で、最も強敵だった相手はソフィー(仮名)であった。彼女はとある部門の部門長で、直属の上司にはあたらないものの、相当エライ人である。ソフィーは生粋のフランス人だが、アメリカ人ネイティブのごとき高速で英語を話す。容赦ないマシンガンイングリッシュである。職位の高さと英語力は比例するのだ。そんな彼女にヘボい中学生英語で対峙するのはなかなかしんどいものだった。ソフィーのマシンガンイングリッシュには、まったく口を挟む隙がない。おそらく、「初対面の人間に舐められてたまるか」という気持ちもあったのだと思う。ミーティングが始まった15分後、彼女が息継ぎをする瞬間、どうにか自分のスキルや日本の現状などを交えつつ自己紹介をはじめることができた。やっと自己紹介ができたので、そういえばお土産を持ってきました、と北斎の浮世絵クリアファイルを渡したとき、マシンガン・ソフィーの表情が変わり、彼女はこう叫んだ。

「Oh~!!オクサイ!!ハウビューティフル!!」

彼女は”Oh~!!HOKUSAI!!How beautuful!!”(ああ北斎!!なんて美しいの!)と言ったのだが、フランス人はアルファベットのHを発音できないので、ハヒフヘホの音が出せずに「オクサイ」と叫んでしまったのである。冷徹なマシンガン・ソフィーの人間的な一面が見え、極度の緊張が解けてなんだか可笑しくなってしまった。そして日本美術がフランス人に受け入れられていることを目の当たりにして、純粋に日本人として嬉しかった。それからソフィーは、2014年にパリで行われた北斎展を見て、北斎の魅力に取り憑かれたことを熱く語ってくれた。このクリアファイルを仕事で使って、とわたしが言うと、彼女は「いいえ、使わないわ!オフィスに飾るのよ!」とご満悦であった。北斎の浮世絵が、見事にマシンガン・ソフィーの心を開いたのである。

葛飾北斎作 富嶽三十六景 凱風快晴 (メトロポリタン美術館)

葛飾北斎作
富嶽三十六景 凱風快晴
(メトロポリタン美術館)

そのあとはすぐ仕事の話に戻ったが、ミーティングは非常に和やかに進んだ。終了後、ソフィーが仕事の説明に使ったパワーポイント資料をメールで送ると言ってくれたが、わたしは信じなかった。フランス人は初対面の相手をそう簡単に信用しないので、まるっと資料をメールで送るなんてリスキーなことはしないはずだと思ったからだ。しかし予想に反して、すぐにメールで資料が送られてきた。そこには、こんな感謝の言葉が添えられてあった。

”Thank you for your nice gift.”(素敵なお土産をありがとう)

グローバルビジネスの場におけるアートの話題は、日本企業でのプロ野球の話題に近いものがある。日本のビジネスシーンでは、しばしば接待などの場でプロ野球の話題が出るので、野球に詳しい人は何かと有利である。同様に、美術に関する話題は欧米の職位の高いビジネスパーソンには鉄板の話題なので、日本人も最低限の美術知識を身につけるべき、という木村先生の主張は正しいと実感を持って言える。

わたしが葛飾北斎に助けられた話は、電通の美術回路のような「経営戦略レベルでアートを活用する」なんて高度な話ではまったくない。たまたま相手が好むアートの話題を出して、相手との距離が縮まり、ビジネスが円滑に進んだという単純かつ低レベルな話である。しかし、一般的なサラリーマンにとってはこういう小さな積み重ねこそが身近で実質的に役立つことなのだ。

圧倒的な職務スキルを持ち、英語はネイティブレベルにペラペラという人なら、別にビジネスの場で美術の力を借りる必要はない。しかし、わたしのような外資系ヘボリーマンにとっては、美術知識は人間関係の大事な潤滑油。アートは身を助けるのだ。

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