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東京・広尾の山種美術館(http://www.yamatane-museum.jp/)で開催中の「皇室ゆかりの美術ー宮殿を彩った日本画ー」へ行ってきました。
最初は「皇室ゆかりの美術」というコンセプトがピンと来なかったのですが、学芸員の方のギャラリートークを聞いてみて、本展のコンセプトと見どころがよく分かりました。日本美術において皇室がどのような役割を果たしてきたのかが明確に示されている展覧会だと思います。
【本記事の内容】
1.日本美術における皇室の役割3つ
欧米では有力な画家には必ず王家・貴族階級・宗教団体などのパトロンがついて美術品製作が奨励されてきましたが、日本でも同様なんですね。皇室は美術品の収集、作品の製作依頼元となるなど日本美術との関わりが非常に深いようです。
①日本美術を保護・奨励する→「アート外交」へ
江戸時代は徳川家や各藩がパトロンとなって絵師が活躍していましたが、明治維新を迎えると幕府関連組織はパトロンとして機能しなくなったため日本の美術家が食べていけなくなり、日本美術が衰退する恐れが出てきました。そこで、宮内省によって1890年(明治23年)に「帝室技芸員」という制度が整備され、日本の美術家を守る取り組みが進められました。帝室技芸員には日本の代表的な美術家が選出され、終身栄誉職として任命された上で、年金の支給および下命された作品に対する相応の対価が保証されていたそうです(戦後にこの制度は廃止)。また、単に日本美術を保護・発展させるだけでなく、海外で当時流行していたジャポニズムの流れに乗じて日本美術を世界に売り込み、日本の威信を海外に示すという目的もあったのだとか。これって要するに日本美術を外交手段として使う、「アート外交」ですよね。富国強兵の国策の一端を日本美術が担っていたことに気づかされるとともに、この時代に日本美術を海外へ売り込むのは英断だと感じました。欧米に劣らない文化があることを国外にアピールすることで、日本の国力を対外的に示し、欧米列強を牽制するカードの一つとなっただろうと推測するからです。本展では日本を代表する帝室技芸員の作品が一挙に展示されており、当時のアート外交の一端が垣間見えます。
帝室美芸員の作品で特に見応えがあるのは、下村観山の「老松白藤」です。当初は宮家で保存されていたそうですが、現在は山種美術館に収蔵されています。この作品のみ写真撮影OKでしたので、下記に写真を載せておきます。
写真でわかりづらいかもしれませんが、背景は全面金箔で、非常に華やかな屏風です。松の木の力強さと藤の花のはかなげな美しさの対比が見事です。学芸員の方がおっしゃっていましたが、屏風の左下部分に一匹のくまばちが飛んでおり、くまばちが飛んだ軌跡のような線も見え、なんだかほっこりと和みます。ちょっとした遊び心でしょうか。
②日本美術を収集し後世に伝える
皇室の重要な役割の一つは、美術品コレクターとしての役割。貴重な美術品が皇室によって収集されたり、保存されたりしたことで、消失を免れ現代まで鑑賞可能な状態を保っているものがあります。本展では皇室のコレクションとして伝わっている室町時代、江戸時代の絵巻物が出展されています。
③美術品自体を創造する
少し意外でしたが、特に書の分野において皇室も美術品の作り手となりうるのだそうです。皇室・宮家の書は古来から珍重されており、例えば有栖川宮家の書は有栖川流として有名だそうですが、有栖川家の絶家後、現在は秋篠宮家に継承されているのだとか。本展では和歌をしたためた書が4点(有栖川宮家の手による2点含む)展示されています。
特に①の日本美術の保護・奨励をする目的において、皇室が美術作品の依頼元となり美術家の創作活動を奨励する活動が非常に重要で、本展の目玉となる見どころなので、以下に詳しく書きたいと思います。
2. 皇居内の宮殿装飾を体感し、皇居内を疑似体験!
皇室が美術作品の依頼元となった事例として、ここでは1968年に完成した皇居新宮殿の装飾が取り上げられています。この時皇室からの製作依頼を受け、日本美術の第一線で活躍する日本画家が宮殿の装飾を担当しました。各国の要人を迎えるにふさわしい装飾とするため、山口蓬春、橋本明治、東山魁夷など錚々たる面々が宮殿装飾を行い、宮殿全体が美術品と言っても良い状況ですが、それを一般人が目にすることはできません。そこで、山種美術館創立者の山﨑種二氏が皇居宮殿装飾と同様の趣向の作品制作を画家本人に依頼し、製作されたものが山種美術館に収蔵され、一般人でも見ることができるようになったのです。よほどの偉業を成し遂げない限り一般人が皇居へ立ち入ることなど到底できませんから、こうして皇居宮殿内と同等の日本最高峰の美術を見られるのは、皇居内を疑似体験できる大変貴重な機会です。山﨑種二氏に大いに感謝です。安田靫彦の書、山口蓬春や橋本明治の壁画、上村松篁の屏風絵などが展示されていますが、やはり最も目を引くのが東山魁夷の壁画です。
上記は本展のパンフレット画像ですが、中央に掲載されているのが東山魁夷作「満ち来る潮」(山種美術館所蔵)です。もともと皇居宮殿のために製作された壁画は「朝明けの潮」で、これと同様の作品を画家本人に依頼し製作されたのが「満ち来る潮」です。どちらも日本の海を描いていますが、皇居内の作品の方がより穏やかな波を描いている点が異なるそうです。(商売をしている山﨑種二氏のために、満ち潮にしたのだとか)ただし、「満ち来る潮」と「朝明けの潮」には同じ画材や技法が使われているということでした。
まずぱっと目を引くのは「東山ブルー」で描かれた海面です。白波の部分は、白絵の具かと思いきや、まさかのプラチナ。日光が海面に反射していると思われる黄色い部分は金箔です。砂子も使用されており、全体的に光を反射してキラキラと光っており、画像や画集で見るよりも実物はとても華やかです。しかもプラチナや金箔が使用されている部分の面積がかなり大きい…画面の半分くらいは金箔orプラチナで埋められている印象。青い海面を描いている絵の具は群青、緑青で、これらも天然鉱物から作られており大変高価なのだそうです。これ、画材だけで一体いくらコストがかかっているんでしょうか…。
ともあれ一般庶民でも皇居内が疑似体験できること、これが本展最大の魅力です。
3. 皇居内の宮殿装飾も、アート外交の一つ?!
私は先日、東京・六本木の国立新美術館で東山魁夷展を見ていたので、そこで展示されていた日本の海の描写と比較して「満ち来る潮」はかなり違うなと感じました。現在、東山魁夷展では2018年12月3日まで唐招提寺障壁画が展示されています。(関連記事:唐招提寺障壁画のレポートはこちら)障壁画のうち「濤声」は唐招提寺開祖の鑑真に日本の海の風景を捧げたものですが、同じ日本の海がモチーフであるにも関わらず白波の部分にプラチナは使われていませんでしたし、金箔も使われていなかったように思います。「朝明けの潮」と「満ち来る潮」が同様のコンセプトで描かれたとするならば、「朝明けの潮」は皇居内宮殿に飾る作品ということで外交的意図をもって製作されたのではないかと想像しています。
皇居宮殿内で「朝明けの潮」は車寄に続くホール「南溜」から階段を登ったところにある「波の間」に展示されているそうです。つまり皇居に招かれた国内外の要人が必ず通る場所に飾る壁画なので、日本の威信を示す美術品である必要があるわけです。プラチナや金箔をふんだんに使用した大壁画で訪問者を圧倒する、そんな外交的意図もあったのかな?などと妄想し、これもアート外交かなあと勝手に想像しています。