国立西洋美術館が世界遺産になった理由。そのウラには敗戦国日本が奮闘した、一大復興プロジェクトがあった

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国立西洋美術館の本館の建物は2016年に世界遺産に登録されました。その登録理由はこの建物がフランスの有名建築家であるル・コルビュジエの設計だからです。ル・コルビュジエは20世紀を代表する建築家で、絵画・建築・デザインの分野で素晴らしい功績を残し、後世に大きな影響を与えました。

彼が建築した貴重な建築物ということで、日本の国立西洋美術館が世界遺産となったわけですが、以前から私が不思議に思っていることがありました。それは、「なぜ日本の美術館の設計をわざわざル・コルビュジェに依頼する必要があったのか?」ということです。日本の美術館なのだから、日本人に設計させてもよかったはずです。その方がコストもかからないでしょうし。しかし、経緯を調べてみるとその疑問の答えが明確に理解できました。日本が第二次世界大戦で敗戦国となったあと、文化的な復興を目指す上でル・コルビュジェが設計する美術館を用意することが必要不可欠だったのです。

それを理解するには、まず設計者のル・コルビュジエがどんな人物だったのかを知る必要があります。

ル・コルビュジエは建築・デザイン界に革命を起こした世界的巨匠だった

国立西洋美術館本館はル・コルビュジエ(本名:シャルル=エドゥアール・ジャンヌレ)が設計したもので、入口を入ると高い天井から光が差し込む「19世紀ホール」が出迎えてくれます。

国立西洋美術館 本館 19世紀ホール

国立西洋美術館 本館
19世紀ホール

ル・コルビュジエが世界に衝撃を与え、現代建築の父と呼ばれるまでになったのは、メゾン・ドミノ(1914年)という新しい建築構造の提唱です。鉄筋コンクリートの発明により、建築には様々な自由度が生まれました。ル・コルビュジエは石を積んで壁面を作る従来の西洋建築の構造とはまったく異なる、柱と床面だけで構造を支える下記のような構法を提唱したのです。

ル・コルビュジエ 「メゾン・ドミノ」模型。

ル・コルビュジェ
「メゾン・ドミノ」模型。

ヨーロッパの古い建物と比較すると、メゾン・ドミノの斬新さと当時の人々の衝撃がよくわかりますね。
従来の石を積んで建てられる建築物では、石の重みを壁で支えるために構造上の制限が生じ、窓が大きく取れない、各フロアごとに自由に壁を作れないなどの問題があったようです。一方、メゾン・ドミノのシンプルな構造なら、柱と床さえ動かさなければ構造的には問題ないので、壁面全部を窓にしたり、フロアごとに自由に空間を区切って部屋を作ったりすることができます。これって建築界の革命ですよね。構造の自由度が圧倒的に高くなるので、斬新な空間デザインがどんどん可能になる。ル・コルビュジエが近代建築の巨匠と呼ばれる理由がよくわかります。
そして斬新な設計によってつくられた空間には、どんな家具がふさわしいかも追求し、家具のデザインにも取り組みました。スツールや寝椅子、肘掛け椅子などを手がけており、ル・コルビュジエは工業デザインの先駆けとして活躍した最先端の建築家であり、デザイナーでした。

国立西洋美術館の建設にあたって、フランス政府を納得させるクオリティを担保する必要があった

では、なぜ国立西洋美術館の設計をル・コルビュジエに依頼したのか。それには、現在国立西洋美術館に収蔵されている美術品が歴史に翻弄されたプロセスが深く関連しています。

日本の資産家の美術コレクション「松方コレクション」が、第二次世界大戦の敗戦でフランスに接収

国立西洋美術館で所蔵している美術品は、もともとは川崎造船所(現在の川崎重工業)初代社長である松方幸次郎の美術品「松方コレクション」でした。松方幸次郎は1920年頃までの間に多くの有名美術品を購入しましたが、1924年、輸入品に100%の関税がかけられるようになると、それらを日本に持ち帰ることができず、イギリスとフランスに保管されることになりました。イギリスで保管された300点は残念ながら火災で焼失。フランスにあった400点は第二次世界大戦を生き延びましたが、第二次世界大戦において日本が敗戦国となったため、敵国資産としてフランス政府に接収されてしまったのでした。敗戦国はつらいよ…。
こういう話を聞くと、「敗戦国に人権はないんだな」と思うのですが、それだけ日本が国際社会の鼻つまみ者であったということ。軍国主義を推し進め、周辺各国に数々の人権侵害を行っていたわけですから、人類の宝である美術品を日本に返還する価値はないと思われるのも当然です。当時、日本の国際的信用はゼロだったんですね。

松方コレクションの返還を要求。フランスとの交渉で生まれたのが美術館の構想だった。

1951年のサンフランシスコ講和条約締結の際に、当時の吉田茂首相がフランス側に松方コレクションの返還を要求しました。その際、フランス側から出された条件の一つがこれ。

「フランス美術館をつくること」

確かにちゃんとした美術館もない国に、美術品を返すことはできないというのは一理あるような気がします。が、単に美術品を収蔵・管理・展示する美術館を作れということでなく、「フランス・・・・美術館」を建設するよう要請されていることがポイント。「素晴らしいフランス美術を日本に知らしめよ」と言われているわけですよね。敗戦国はつらいよ…。
そこで、日本政府としてはフランス政府が納得するレベルのクオリティで「フランス美術館」を建設せざるを得なくなったわけです。敗戦直後で財政面でも余裕がない中、フランス側からはかなりハードルを上げられてしまいました。そこで寄付金を募るなどして建設費を工面しつつ、フランス美術館=現在の国立西洋美術館の設計をル・コルビュジエに依頼することになりました。彼は近代建築に革命を起こした、世界的に有名なフランスの建築家だったからです。彼の設計なら、フランス政府に絶対文句を言われることはないというわけです。
最終的にはル・コルビュジエの設計を元に国立西洋美術館が建設され、フランス政府から松方コレクションが戻りましたが、フランス政府としては「いったんフランスのものとなった美術品を日本に寄贈するのであって、返還ではない」との言い分だそうです。そして松方コレクションのうち、ゴッホやゴーギャンの名作は戻ってきませんでした。不利な交渉でも呑まざるを得ない敗戦国って本当につらい。
こうして現在の国立西洋美術館が生まれたわけです。

このような目で見ると、普段何気なく訪れている国立西洋美術館がちょっと違って見えてきます。例えば、美術館正面にある前庭。ここにロダンの「考える人」、「地獄の門」、「カレーの市民」やブールデルの「弓を引くヘラクレス」が展示されているのはなぜなのか。

国立西洋美術館 前庭。 フランスの彫刻家、ロダンやブールデルの作品が並ぶ。

国立西洋美術館 前庭。
フランスの彫刻家、ロダンやブールデルの作品が並ぶ。

これらの作品が選ばれた理由を深く考えずに眺めていましたが、今なら理由がわかります。フランス彫刻家の美術品を「美術館の顔」とも言える場所に配置するのは、明らかにフランス側への配慮ですよね。

国立西洋美術館は、日本の戦後復興と国際的信用の証

このような経緯を知った上で国立西洋美術館へ行くと、ちょっと違ったものが見えてくるのではないでしょうか。展示されている美術品を見るのもいいですが、ちょっと建物や内装もチェックしてみてください。第二次世界大戦後の混乱の中でもフランス政府の要求レベルに見合った、これだけの美術館を建設するために血の滲むような努力が行われたことが推測され、頭の下がる思いです。そして結果的には当時の英断が功を奏し、ル・コルビュジエの建築作品として国立西洋美術館が世界遺産登録されたことで、世界遺産の中で美術展を楽しめるようになったことに感謝です。

ここで私たちが肝に銘じることは、貴重な作品を諸外国から借りて美術展が開かれること自体、日本に国際的信用がなければ実現し得ないということです。80年前、日本は愚かな戦争に突き進んでしまいましたが、戦後、先人たちは日本の国際的信用を見事に回復しました。日本は人類の宝である美術品を守り、楽しむ文化的価値を持つ国だとこれからも信頼してもらえるのか。それは私達や子供の世代にかかっているのです。国立西洋美術館の歴史は、美術品の価値を教えてくれるだけでなく、国際社会での日本のあり方も考えさせてくれます。