三国志展②:英雄たちのリアル、ここに有り。話題の曹操高陵出土品を見逃すな!

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東京・上野の東京国立博物館での展示のあと、2019年10月1日〜2020年1月5日まで福岡県太宰府市の九州国立博物館で開催された「特別展 三国志」。初回記事では漫画・ゲームなどの三国志関連コンテンツとのコラボと、名場面に関連した美術品、そしてグッズ情報についてまとめました。↓

特別展 三国志(東京国立博物館)

三国志展①:三国志ファン全員集合!名場面が集結、1800年前の英傑たちに思いを馳せる。グッズも充実。

続いて本記事では、本展のメインとなる「リアル三国志」、つまり最新の発掘調査で発見された同時代の出土品についてまとめつつ、英傑たちの活躍をリアルにイメージしてみたいと思います。

※本展はすべて撮影可能です。カメラをお忘れなく!

1. 曹操・孫権・劉備のルーツは?

それぞれ魏呉蜀のトップとなった曹操・孫権・劉備のうち、特に血統の正当性を主張しているのは劉備です。「漢の中山靖王の後胤」と名乗り、漢の皇帝の血筋を汲む正当な後継者としての大義名分のもと、天下を平定しようとしています。本展では劉備の祖先にあたる中山靖王、劉勝の墓から発掘された遺品が展示されています。

中でも目を引くのは、刃渡り50cmはあろうかと思われる、立派な玉装剣。中山靖王劉勝の副葬品として発見されたものです。

玉装剣(後漢時代・2世紀)河北博物院所蔵

玉装剣(後漢時代・2世紀)河北博物院所蔵

中山靖王に伝わる宝剣。ここで思い出される三国志エピソードと言えば、劉備と張飛が初めて出会った名場面ではないでしょうか。まだ劉備が世に出る前、筵を織りつつ貧しい暮らしをしていた際、黄巾族に襲われた劉備が張飛に助けられる場面です。この時劉備は、助けてくれた御礼として祖先から代々伝わる剣を張飛へ渡してしまいます。劉備が命からがら自宅へ戻ると、家宝の剣を手放した志の低さを老母に諌められ、自分は一族の恥と反省します。その後、張飛と再会し関羽とともに義兄弟の誓いを立てる際、家宝の剣は張飛から返還されて再び劉備の手に戻ってきます。この三者を義兄弟の誓いまで導いた宝剣も、本展で展示されているような形のものだったのかもしれません。

その他にも、曹操の家系である曹氏一族の墓から出土した副葬品も展示されています。

2. 張飛はどんな武器を使っていた?1800年前の武具が展示

張飛の武器、「蛇矛」

劉備の義弟で、猪突猛進な武勇で大活躍の張飛。愛用の武器は蛇の舌を模した刃型が特徴の「蛇矛」で、その長さは一丈八尺と言われます。本展では張飛よりも前の時代に作られたとみられる蛇矛の刃が展示されています。

蛇矛(石寨山文化期・紀元前2世紀)雲南省博物館所蔵

蛇矛(石寨山文化期・紀元前2世紀)雲南省博物館所蔵

では、実際に張飛はどんな蛇矛を使用していたのか?それをイメージするのに重要なのは、当時の長さの基準を表す定規です(展示あり)。一見すると地味な展示品ですが、ものすごく価値が高いです。

定規(三国時代(魏)、3世紀)甘粛省博物館

定規(三国時代(魏)、3世紀)甘粛省博物館

度量衡は時代によって異なるため、この時代の一尺がどれほどの長さなのかが分からなければ、ものの長さを推定することはできません。しかし、発掘調査で定規が出土したおかげで当時の長さの基準を知ることができ、三国志の武将の身長や武器の長さを歴史書の記述と照らし合わせて推定することができます。この定規によれば、一尺=24cm。一丈=10尺なので、張飛の蛇矛(一丈八尺)は全長約4.3mということに…。張飛の蛇矛を再現したものも展示されていますが、大きすぎて写真に入りません…。

張飛の蛇矛(再現展示)

張飛の蛇矛(再現展示)

これだけ長ければ重量も相当あるでしょうし、これを持って馬上で敵をなぎ倒す能力があったのなら、ホントに超人的だと思うんですが…。まさに武勇の誉れ高き豪傑です。

効率的に弓を射るための「

三国志でよく使われる武器といえば、弓矢が思い浮かびます。弓矢にまつわるエピソードで代表的なものは、「赤壁の戦い」直前に諸葛亮(孔明)の英知が光り、大量の矢を労せずして手に入れた「覆面の船団」ではないでしょうか?しっかり横山光輝先生の漫画「三国志」の原画も展示されています。

横山光輝作「三国志」原画:赤壁の前哨戦

横山光輝作「三国志」原画:赤壁の前哨戦

劉備と孫権は同盟を結び、曹操軍を討つべく準備を進めますが、孫権サイドの軍師・周瑜は諸葛亮(孔明)の智謀を恐れ、陥れようと策を練ります。そこで周瑜は孔明に対し、軍議の場で10日間以内に10万本の矢を準備するよう依頼します。もちろんこれは、孔明に失敗させて咎を負わせるための無茶振りですが、それに対して孔明は「10日と言わず、3日で作り上げましょう。陣中に戯言なし」と答えます。

そして孔明は、大量の藁と藁人形を乗せた船に最小限の兵士を乗せ、覆面の船団として夜霧の中を曹操軍の陣営へ船で近づきます。曹操軍からはおびただしい矢が浴びせられ、折を見て呉軍の陣へ引き返し、一夜にして十分な量の矢を手に入れたのです。周瑜の目的もすべて見抜いた上での、鮮やかな智略。孔明おそるべし…。

この時曹操軍が矢を射るために使用した道具が「弩」。本展では同時代の呉で使用されていた「弩」が展示されています。

弩

照準や引き金があり、引き金を引くと矢が発射する仕組み。要するに現代のボウガンですね。1800年前のものですが、精巧にできており現代のものと基本的には変わらないような…。効率的に大量の矢を射ることができるようになっていてすごい。

孔明が大量の矢を手に入れた船の再現セットもあります。絶好の撮影スポット。

孔明が10万本の矢を集めた「覆面の船」再現セット。

孔明が10万本の矢を集めた「覆面の船」再現セット。

このほかにも槍、撒菱まきびしげき、剣など、当時の武器の展示が満載です。

3. 曹操陵内部を完全再現!出土品から当時の姿を探る

本展のメインは、2008年に発見された魏の丞相・曹操の墓、「曹操高陵」からの出土品です。発見された当時から本当に曹操のものであるか、真贋を判定するための調査が行われていたそうですが、出土品や墓の様式等から曹操の墓と断定されたのだそう。そして男性1名、女性2名の遺骨も発見され、曹操と夫人のものと考えられています。遺骨が見つかったということは、将来的に顔面の再現などもできるのかもしれません。今後の研究に期待です。

本展では、この墓が曹操のものと断定する根拠となった出土品である「石牌」が来日しています。

石牌(後漢〜三国時代、3世紀)河南省文物考古研究院所蔵

石牌(後漢〜三国時代、3世紀)河南省文物考古研究院所蔵

ここに刻まれた「魏武王」=曹操を表し、この墓が曹操のものと断定する根拠の一部となったのだそうです。

そして曹操高陵の内部が展示室内に再現されており、その規模を体感できるようになっています。

展示室内に、曹操高陵内の空間を完全再現。

展示室内に、曹操高陵内の空間を完全再現。

曹操は臨終の際、葬儀や墓は質素にするよう指示したそうです。それを裏づけるように、発掘調査では絢爛豪華な金銀財宝は発見されず、当時権力の絶頂にあった曹操の墓としてはとても簡素なものであったそうです。盗掘された形跡があったため高価な副葬品が盗まれてしまった可能性もありますが、曹操の遺言が忠実に実行された可能性が高いとのこと。

また、写真を撮り忘れてしまいましたが、曹操高陵から発見された白磁製のかんも貴重なもの。白磁はもっと後の時代に生まれたと考えられていましたが、今回曹操高陵から西暦200年頃の白磁が見つかったということで、白磁の歴史を変える可能性がある大発見なのだそうです。

ちなみに、劉備や諸葛亮の墓はまだ発掘されていないとのこと。歴史書「三国志」の記述が発掘調査によってどんどん裏づけられれば、個性豊かな登場人物のよりリアルな姿が分かってくるはず。今後の考古学研究が楽しみです!


ここで紹介したのは展示品のほんの一部。この他にも食器や日用品・装飾品・印など、当時を偲ぶ品が盛りだくさん。英雄たちのリアルに触れ、彼らをより身近に感じることができると思います。三国志ファンの方は必見です!

特別展 三国志

【九州国立博物館】
会期:2019年10月1日〜2020年1月5日<終了>

公式サイト:https://www.kyuhaku.jp/exhibition/exhibition_s56.html

【東京国立博物館】
会期:2019年7月9日〜9月16日<終了>

公式サイト:https://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=1953